趣意

 現在、日本の社会は、右肩上がりの経済成長の時代が終焉し、経済的には裕福となり成熟した経済の時代と言われている。生活に必要なモノは人々に行き渡り、大量生産・大量消費のビジネスモデルによって企業が継続して成長を続けることは、これからの社会では難しいこととなってきている。多様化した人々の価値観や嗜好の変化を、如何に素早く捉えきめ細かく適応していくかがこれからの企業の存続の道である。

 市場原理の思想が台頭することにより格差社会化が急速に広がったばかりか、リーマンショック以降の世界規模での経済危機が生活を直撃し、人々の将来に対する不安を煽っている。成熟化社会における成果主義導入で目減りする個人所得、破綻をきたしつつある地方行政の問題、地方のみならず都市部にも広がる限界集落の問題、医療や食料危機の問題など喫緊の課題が山積するなかで、少子高齢化、人口減少社会化が進展している。日本全体としては、すでに社会的資本が整備されてきており、人々の生活の安定につながる個々の地域の実情に沿った政策、ソフトな面での充実を目指す国のあり方が求められている。株主価値を追求する企業においても、経済合理性を目的として効率を追求するばかりではなく、これからは、 夫々の地域に住む人々の将来像に合った事業を展開しなければならない。

 あらゆる分野においてグローバル社会での競争が進んでいる。従来のグローバル化は、新たな分野の製品の輸出入の拡大、低価格の海外製品の流入と国内産業の破壊と新たな創造、海外企業との提携、現地での直接生産販売、海外への資本参入、それらを担保する国際ルールや規格の統一といった形で進行してきた。グローバル社会では、夫々の国の国益となる国家戦略、一部の国民の利害を代表した政策、資源の獲得、歴史的に発展してきた様々な理念が絡んだ競争であるとみなされてきた。

 しかし、人件費を抑えるために海外進出するにしても、低価格の原材料を輸入するにしても、その国に住む一部の人々の利権ばかりではなく、これからは、そこで働く人々の人権や生活の向上を配慮すること、資源を保有する国や地域の環境保護や保全を考えることも必要である。そして、その個々の取り組みが、地球全体としての環境破壊の進行を食い止めることにもつながっていく。

 従来の競争原理に基づくグローバル化の発想を超えて、地球規模でのビジネス感覚、特に、夫々の地域に住む人々との共生が必要である。これからの人口増大、発展途上国の経済発展により枯渇すると予想される資源の問題や食料危機の問題は、様々な紛争の火種につながる可能性もある。個々の企業も、グローバルに住む人々の生活や様々な環境に配慮して、社会的視点で持続的発展を意図した経営が求められている。今や、傲慢に自らの利益のみを考えることは、レピュテーションの問題につながっている。

 成熟化し格差の広がった社会となった今日では、もはや、経済的に成長すれば心豊かな社会を実現することができるという理想は崩壊した。また、事業活動を通して社会生活を豊かにすることで企業が継続して成長しつづけるという理想も、グローバル競争の社会では必ずしも担保されている訳ではない。これからの社会では、『格差のない心豊かな暮らしの実現を追求するとともに、経済的合理性を追求する』ことを同時に、意図していかなければならない。

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