「幸福とは何でしょうか」。この問いに正面から向き合うことは、誰にとってだけでなく、組織にとっても、避けて通れない課題です。とりわけ、Well-beingを基盤にすえたサステナビリティ経営が求められる時代において、幸福の構造とその源泉を問い直すことは、単なる「従業員満足度」の向上を超え、組織の存在意義そのものを再考することにつながります。
本コラムでは、ポランニーの「暗黙知の次元」の議論を出発点に、人間の創造性と幸福の本質を接合し、「創造的思考の暗黙知」が如何にしてWell-beingの根幹を成すかを掘り下げます。ここでの「暗黙知」は、形式知化して効率化やコスト削減に還元できない知であり、個々人が培ってきた知見や専門知識を新たな創造に結びつけて、その創造的思考の方向性とプロセスを暗黙裡に導き出す知のことです。それは企業の中で文化として育まれ磨き上げられていく知でもあります。
1.幸福の源泉は「やりたいことに向かっている自分」である
1.1. 人としての根底にある願い
幸福な感じとは、何かを手に入れることではなく、「なりたい自分に向かっている実感」ではないでしょうか。この視点は、最近の私たちに芽生えたわけではなく、古典ギリシャに生きた人たちの思想にも通底します。アリストテレスが述べた「ユーダイモニア(真の幸福)」とは、目的を持ち、その目的に向かって自己の可能性を展開する生き方のことです。
私たちは、外部から与えられた目標や人に言われたからということではなく、自らが人生を過ごす中で辿り着いた目的に従って行動する時、深い満足と充実感を得ることができます。これは「自己決定理論(SDT: Self-Determination Theory)」にも通じるものであり、「自律性」「有能感」「関係性」という三要素が満たされると、人は高い動機づけと幸福感を得られるとされています。
1.2. 企業組織の中にいても、やりたいことに向かっている自分
企業組織において、その「自律性」や「目的に向かう実感」はどこから生まれるのでしょうか。ここに、創造的思考の暗黙知の果たす役割が現れてきます。人は、自らの経験・直観・信念といった内面に根ざした「創造的思考の暗黙知」によって、自分が何をしたいのか、なぜそれが意味をもつのかを感じ取り、方向づけていきます。幸福感の根源は、自らの目的に向かって創造的に歩んでいるという実感にあります。
こうした視点は、従業員の Well-being を支える企業文化の核心でもあります。それは、外から与えられる「やるべきこと」ではなく、内から湧き出る「やりたいこと」として、自律的な行動の原動力となります。形式知で管理された組織運営ではなく、暗黙知を活かした自己目的化された働き方を育む環境づくり、そこに、これからのサステナビリティ経営の第一歩があります。
1.3. 顧客に提供する価値と自らの内から湧き出るやりたいことの価値の融合
社会規範と倫理観が共有された人たちの間での社会的志向性は、完全に一致することはなくても、大きく異なることはありません。価値を提供する企業側とその価値を求め消費する顧客側でも同様です。そもそも、そこに大きな違いがあるならば、契約に到りません。
企業の中で働く人たちと顧客との間で求める価値が重なり合うということは、創造的思考の暗黙知も、顧客価値の創造であると同時に、従業員価値の創造でもあると言え、どちらに向けても創造的思考の暗黙知は同等に作用するということになります。自らの内から湧き出るやりたいことは、顧客のためにやりたいことでもあるといえます。そして、どちらにとてもの Well-being になるのです。
2.幸福は「意味を創る創造的思考の暗黙知」に宿る
本コラムで扱う「創造的思考の暗黙知」は、言い換えれば「意味を創り出す創造的思考の方向性とプロセスを暗黙裡に導き出す知」です。人が何かを創り出すとき、その背後には「自分でもうまく言葉にできないが、確かに感じ取っていること」があります。それが、状況に対する直観であり、問いへの感度であり、構造を読む力です。
このような知は、自己の内部から湧き出る動機と、自分が関わる世界との相互作用から生まれるものであり、既存のフレームワークや成功法則では捉えきれない、形式知化できない知です。この「創造的思考の暗黙知」は、その人だけの意味の生成に導く仕方です。
自分の中で沸き起こってくる「自ら意味を創り出す創造のプロセス」であるからこそ、人間としての実感と喜びが宿るのであり、自らの存在が意味を生み出し、それを誰かと共有できるという実感の中にこそ幸福感があります。幸福の根源には「意味を創る創造的思考の暗黙知」があるのです。
3.幸福は「自分の社会的志向性」が育む
「自分の人生を、自分の手で築き上げている」という感覚は、何にも代えがたい幸福の感覚をもたらします。それはたとえ社会的な成功や報酬が伴っていなくとも、人を深く満たすものです。
幸福とは、「自分でやりたいことを見つけ、それに向かって自分の気力を振り絞って歩み、誰かとその意味を分かち合えること」に他なりません。
それでは、私たちはどうやって「自分でやりたいこと」を見つけるのでしょうか? 現代社会の複雑な選択肢の中では、「好きなことをやろう」と言われても、むしろ迷ってしまう人も少なくありません。ここで鍵を握るのが、「自分だけの本来的な意味の創造」です。この創造性は、明文化された他者の価値基準ではなく「自分の奥底からくる違和感や惹かれ」に耳を澄ませることで育まれます。
- ある仕事になぜかやりがいを感じる
- 誰かの言葉にどうしても心が動かされた
- 本業とは関係ないのに、気がつくとそのテーマを深掘りしている
こうした経験は、論理的にでなく、「意味の魅力」に惹かれて動いている状態です。ここに、創造的思考の暗黙知が働いています。この創造的思考の暗黙知が方向づけるのは、自分の社会的志向性です。
4.非地位財:私だけの物語が、私を支える幸福になる
私たちは、どこから幸福を得ているのでしょうか。 多くの人は「地位財」(給与、肩書き、持ち家、ブランド品など)を人生の目標と錯覚しがちですが、それはしばしば“他者との比較”によって評価される幸福です。しかし、比較による幸福は、比較によって壊れます。一方、「非地位財」は、誰かと比べられることなく、自分の内側から育まれる幸福の源泉について考察し、ユーダイモニア(本来的幸福)へとつながるかを追い求めます。
私たちは、地位財によって社会的な承認や短期的な満足を得ることはできますが、「生きていてよかった」と心から思える感覚は、非地位財からしか得られません。
- 人間関係のなかで、自分がどう在りたいか
- 自らの価値観に沿って、どのように貢献したいか
- 自分が育てたいと思える意味を、人生にどう織り込んでいくか
非地位財は「自分だけの問いと物語」によって構成されているのです。それは、形式知化された知識や他者の成功を真似して導かれるものではなく、人生の中でしか育たない内発的な「意味」です。それらは決して「誰かと比べて上か下か」で測るものではありません。「私は、私の人生に納得しているか」、この問いだけが意味を持つのです。
5.「自己実現」ではなく「意味実現」へ
人間の欲求は、どこまで高まるのか。 アブラハム・マズローは、最上の欲求を「自己実現」とし、晩年には、「自己実現」の先に「自己超越(Self-Transcendence)」があるとしました。
マズローは「自己超越とは、人間の意識の中で最も高次で、最も包括的かつ全体的なレベルを指しており、それは手段としてではなく目的そのものとして、自分自身、重要な他者、すべての人類、他の生物種、自然、そして宇宙全体と関わり、振る舞うことを意味する。」(出典:Abraham H. Maslow, “The Farther Reaches of Human Nature”, 1971) (ChatGPT4o を使用した検索、日本語訳)
この状態にある人は、「社会や自然環境との関係性」を通して、「自己実現」を超越した「意味実現」が中心的な動機となるのでしょう。
6.内なる創造性の再発見:眠っていた暗黙知を呼び覚ます
6.1. 「創造的思考の暗黙知」が意味を生成する
人はどのようにして「意味」を生成するのでしょうか。 その鍵を握るのが、「創造的思考の暗黙知」です。創造的思考の暗黙知が、人の経験と重なり、物語となり、やがて意味へと昇華していくのです。暗黙知が創造的であるとは、それが「ただの技能」や「習慣」ではなく、未来に開かれた価値の可能性を秘めているということです。その意味で、「創造的思考の暗黙知」は、自己超越の内的なエンジンであると言えます。
6.2. 創造性はすべての人に備わっている
「自分は創造的ではない」と思い込んでいる人は少なくありません。しかし、これは社会制度や教育のあり方が生み出した幻想です。実際には、すべての人間には創造性が備わっており、それは生きることそのものと不可分に結びついています。子どもたちが自由に遊ぶときに見せる想像力や、日常の中でふと生まれるひらめきにこそ、創造の本質は潜んでいます。
問題は、その創造性が社会的な比較や評価、規範にさらされる中で抑制され、やがて沈黙していくという構造にあります。競争に勝つための「正解」を求め続ける教育、業績目標に追われる職場環境、無意識の同調圧力。こうした条件の中で、人は創造性を「危ういもの」「無駄なもの」として扱い、封印してしまうのです。
6.3. 創造的思考の暗黙知を掘り起こすという営み
ポランニーが説いたように、私たちの知識は言葉にできるものだけではありません。むしろ、熟練や直観、判断といった高度な能力の多くは、言語化されない「暗黙知」に支えられています。そして、その中でもとりわけ価値の高いのが、創造的思考の暗黙知です。
これは、「正解」を求める知ではなく、「意味」を創造する知です。他者から与えられた基準ではなく、自分の経験や価値観、文脈のなかから立ち現れる独自の知。それは一種の「自己を掘り起こす」行為にほかなりません。忘れていた記憶、見過ごしていた情熱、心の奥底に眠っていた問い。それらを呼び起こし、新たな価値として結晶化させることが、創造的思考の暗黙知の働きであり、真に自律した生の始まりです。
7.幸福の再定義
7.1. EudaimoniaであるWell-being
現代社会において「幸福(Well-being)」という語が頻繁に語られるようになりましたが、それは一時的な満足や快適さに留まるものではありません。本質的な幸福とは、むしろ、「生きる意味の生成とそれを社会と共鳴させていくプロセス」の中にあります。
これは古代ギリシアの哲学者アリストテレスが提唱した「ユーダイモニア(Eudaimonia)」の概念に通じます。すなわち、自己の本質に即した生き方「自らの可能性を開花させ、他者と世界に意味あるかたちで貢献すること」こそが、真の幸福であるという視座です。
7.2. EudaimoniaであるWell-being は「 パーパス × 社会的志向性 × 創造性」が実現されている状態
本コラムを通じて明らかにしてきたように、創造的思考の暗黙知は、個人の内面深くに潜在しており、それは、社会的志向性との共鳴、パーパス(生きる目的、存在する意義)と相互に結びついています。私たちが感じる深い充足――それは以下の3つの要素の掛け合わせから生まれます。
- パーパス:自らの生きる目的と企業の存在意義が、社会にとって意味あるものであるという確かな感覚。
- 社会的志向性:社会的志向性が他者の共感を呼び、社会的連帯や共創へとつながっていくプロセス。
- 創造性:創造的思考の暗黙知が導く、まだ言葉にならない新たな価値を形にしていく営み。
「EudaimoniaであるWell-being」は、パーパス(自らの存在意義)、社会的志向性が導く社会との共鳴、創造性によって実現される幸福なのです。
7.3. 創造的組織風土へ
「EudaimoniaであるWell-being」の幸福感は、孤立した自己満足では終わりません。組織にいる一人ひとりの生きた姿勢や意思は、組織の空気に滲み出ていきます。パーパス、社会的志向性、創造性に心動かされる個々人の在り方は、「創造的組織風土」として組織に浸透していくのです。
組織で働く一人ひとりは「創造的組織風土」に触れながら、模倣ではなく、自らの創造性を探り、意味ある仕事と人生の接続点を見出すようになります。組織は命令だけで動くものではなく、意味で駆動するものとなり、結果として真に自律的で持続可能な経営体へと育っていきます。
7.4. サステナビリティ経営の本質とは何か
サステナビリティ経営とは、単に環境への配慮やSDGsの実施にとどまるものではありません。それは、組織が「意味の共有する空間」として機能し、働くすべての人が「EudaimoniaであるWell-being」の幸福感を実感しながら生きていける場を築いていく営みです。
そこでは、企業の目的は「競争に勝つこと」ではなく、「社会に貢献することで、自らもまた意味に満ちた存在であり続けること」に変わります。このとき、創造的思考の暗黙知は経営の根幹に据えられ、「EudaimoniaであるWell-being」に裏打ちされた価値創造が継続的に行われるようになります。
まとめ:幸福とは、意味を創造し続ける営みである
幸福とは、「与えられるもの」ではありません。それは、自らが意味を創り、他者と世界と響き合いながら深化していくプロセスそのものです。
組織における Well-beingは、「パーパス × 社会的志向性 × 創造性」 によって、個人的満足や感情的充足を超えた「EudaimoniaであるWell-being」へと結実していきます。そしてその結実した感覚が、組織という生命体全体に広がっていくとき、私たちは初めて「創造的風土」を手にすることができます。それこそが、未来を創る経営であり、創造的思考の暗黙知の時代におけるサステナビリティ経営の核心なのです。
サステナブル・イノベーションズ株式会社 代表取締役社長 池邊純一