一般論としての社会変革についての議論

1.日本の政府レベルでの変革についての議論の代表的形態例

 日本国の政府は頻繁に会議体を設置して答申してもらうという方法を採用しています。これだと、そもそも人選に恣意性は排除できないし、議題も議論の流れも官僚が決めたものに従って、多くの場合議事録や答申書のみが公開されるクローズされた場での議論が期日を切って行われ、後に、閣議決定して「こうだから皆さん従って下さい」という形で周知されるというものです。価値観が異なる人たちの意見を集約して政策を断行するためにはそうするしかないのかも知れません。

2.多くの企業レベルでの変革についての議論の代表的形態例

 企業の中でも委員会方式を取ったり、役員会等で協議して取締役会で決議したりする方法を採用して、上意下達で示されるといったところもあるかも知れません。これも「変革の共有」の形に他なりませんが、多様な知見を集めた訳ではなく偏りが生じてしまうものであり、そもそも、セレンディピティ “Serendipity” を上手く取り入れた方法とは言い難いものとなってしまいます。

3.かつての日本企業におけるカイゼンについての議論の代表的形態例

 かつての日本の企業では、言葉としてはかなり古いものですが「目安箱」という制度を設定して、従業員から広く要望や不満を集めて経営トップ自らが直接意思決定し改善していく方法を採用したところもあったのではないかと思われます。「改善提案」という制度を活用するところも多かったのではないでしょうか。
 職場のあり様についての意見や要望、目の前の問題への対処という意味では機能する方法とも言えるでしょうが、これが「変革」のツールとして機能するとは思えません。そもそも社会を俯瞰して組織変革をしようなどと発言(大言壮語)できる人はまれであり、いたとしても生意気を言うなとか、変人扱いされて周りの人たちから疎外されるだけだと危惧して、発言を遠慮してしまっているのではないでしょうか。SNS技術の進歩により、最近では、企業内に、オープンに発言できるチャットの仕組みを導入している企業も増えているのではないでしょうか。オープンに議論ができる場が出来たというのは進歩かも知れませんが、同調圧力の強い日本人にとっては、個々人が大言壮語できる組織風土は育まれていないのではないでしょうか。