社会とは

辞書にある『社会』の一般的な定義を以下に引用します。

  • 複数の人びとが持続的に一つの共同空間に集まっている状態,またはその集まっている人びと自身,ないし彼らのあいだの結びつきを社会という。日本語の〈社会〉という語は,1875年に,《東京日日新聞》の福地桜痴によって,英語のsocietyの訳語としてつくられたとされる。他に〈世態〉〈会社〉〈仲間〉〈交際〉などの訳語も行われていたが,しだいに淘汰されて〈社会〉になった。社会に対応する概念がそれ以前の日本には存在していなかったといえるが,江戸時代には,〈世間〉という語があって〈人の世〉〈世の中〉といった意味をあらわしていた。 株式会社平凡社百科事典マイペディア 社会とは – コトバンク (kotobank.jp)
  • この言葉は,日常的にも学問的にも多義的である。西欧語の訳語としては 1875年頃福地源一郎 (桜痴) によって初めて採用されたといわれる。ただし,社会とは中国の古典では田舎の祭りのことである。西欧語の語源としては元来「結合する」という意味をもち,人間の結合としての「共同体」を意味した。古代では,「人間は社会的 (ポリス的) 動物である」というアリストテレスの規定にみられるように,社会の観念は思考や感情を共有し,生活をともにする個別的集団をさした (これは 19世紀後半の F.テンニェスの「ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ」説,さらに M.ウェーバーの説などに直接的影響を与えている) 。社会が共同体,集団という意味を離れ抽象的意味をもったのは,共同体が崩壊し個人が自立してきた近代になってからである。ここで初めて「個人と社会」の問題が対立的に考えられた。すなわち社会契約説や自発的結社 (アソシエーション ) を社会の基礎とする見方であり,このような自覚に基づくものが「市民社会」である。またヘーゲルは共同体を基礎に形成された国家を社会とするが,これはマルクス主義にも影響を与えている。 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 社会とは – コトバンク (kotobank.jp)

 上記の定義において『社会』の一側面として示されていることは、『社会』は物理的に形のあるものとして知覚できるものでもなく、観念として抽象的な意味を持ち始めたのは近代になってからであり、形而上学的に普遍的存在でもないということです。
 また、上記の定義において『社会』のもう一つの側面として示されていることは、人は一人では生きていける存在ではなく、人とのつながりの中で、日々の生活を送り、何かを生産し、経済活動を通して生きている存在であるということです。すなわち、『社会』とは、その中に生活があり、生産活動があり、経済活動を含んで人々のつながりが形成している概念的な空間(場)であると定義することができます。ここで「概念的な空間を形成している」とは、例えば、政策の合意、制度、市場、世論やSNS上の声、個々人の活動、様々なコミュニティの活動などを挙げることができます。現実の世界においては『社会』は厳然と存在しているように感じられ得るものでもあります。
 『社会』の定義で混乱が生じるのは「物理的に形のあるものとして知覚できるものでもないのに、現実の世界においてあたかも存在しているように感じられ得るもの」であるからと言うことができます。
 
 『社会』に関して上記の定義では示されていませんが、「社会の存在目的」というもう一つの極めて重要な論点があります。『社会』自体は意思を持っている訳ではないので、自ら目的を持つことはできません。しかし、『社会』を変革する目的、すなわち、変革によって新たに構築する『社会』のあり様と「社会の存在目的」を混同しまうことは日常的にあり得ることです。『社会』は根元的に「人として、誰もが、幸福であることを追求する」という目的を実現していく場として存在しなければならなりません。
 また、本来『社会変革』の目的も「幸福であることの追求」であるべきですが、「幸福であることの追求」が「経済発展」と同一視され、曖昧に解釈されてきた結果、経済格差の拡大、温暖化問題、自然環境の破壊などといった多くの社会問題が惹起されてきました。
 私たち現代人がこうした負の歴史から教訓として学んだことは、「社会の存在目的」と「幸福の追求」は不可分であり、誰一人取り残されることなく実現されなければならならないということです。『社会』の本来あるべき定義も、「社会の存在目的」と「幸福の追求」を一体として定義したものでなければなりません。すなわち、多様性と包摂性を重視する社会となることが求められます。