なぜ、ディスラプション(ディスラプティブ・イノベーション)を目指すのか?

 今、日本においてディスラプション(ディスラプティブ・イノベーション)を求める意義について、改めて整理してみると、以下の様なことを挙げることができるでしょう。

  • 経済成長の停滞、グローバル化する世界の中での競争力の低下、貿易収支の悪化、巨額の財政赤字などが顕在化していることです。これは、誰の目にも明らかなことであり、いたって単純な発想としての帰結です。
  • 政治の世界でよく言われるように、人口減少化し経済規模が縮小していく社会にあって、高額化する医療と労働生産年齢層に負担となる年金制度を維持していくために生産性を高めていかなければならないという深刻な事情を抱えているからです。
  • 日本社会は過去の成功体験を引きずっており、そこから脱するには大きなインパクトのある新たな変革が必要だからです。特に、高度経済成長を遂げた日本の社会には過去の成功体験があり、大量生産・大量消費型社会の妄想から抜け出せないという問題を抱えています。
  • ひとたび事業が成功し組織が巨大化すると既得権益としての力も大きくなり、既存事業の維持ばかりに経営資源が投入されることになります。この問題はシュンペータの時代から示されてきたことであり、経済発展の理論としてイノベーションが必要であると言われてきました(当時は、ディスラプションという言葉は使っていませんが)。社会が大きく変化し技術革新の波が大きく打ち寄せてくるときに、時代遅れの産業構造にしがみついている余裕はありません。

 人はひとたび成功すると自己効力感と損失回避の心理が強く働くようになるものです。しかし、上記のように、成功したときの状況が変化して過去の成功体験が通用しなくなるという状況を前にして過去の成功に引きずられている場合ではありません。それが分かっているのに何も手を打たないでいることは、むしろ、経済発展の理論に反する行為と言わざるを得ません。
 日本の社会は外圧(例えば、黒船や第二次世界大戦後の進駐軍の力)がなければ、自らの力で変化していくことができない社会であるかのように言われますが、どの国も、周辺国との軋轢や移民が持ち込んだ新たな刺激にけん引されて発展してきたとも言えます。
 デジタル・エコノミーの時代になったと言われる今日、日本の社会が発展していくためには デジタル・エコノミーの時代の先を見据えた、新たなインパクトとなる新たな変革(ディスラプション) を自ら起こしていくことが必要です。
 

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