#156 ポストヒューマンの社会になる

 「ポストヒューマン」は、シンギュラリティの到来が2045年頃だと主張するレイ・カーツワイルの著書から引用した言葉である。人間の脳のリニアな進化よりも機械の指数関数的な進化の速度の方が速く、シンギュラリティを迎えて以降、人間の思考はコンピュータにアップロードすることが可能になる。人工知能化されたコンピュータは更なる優れたコンピュータを生み出し、人間の思考もバージョンアップしたコンピュータに受け継がれていく。人の生命は体という寿命のある厄介な殻を脱ぎ捨てることで、地球という惑星から他の惑星系にも進出していくことが可能になる。

 最初の猿人が出現した650万年前から培ってきた穴居人としての本能が人類にあるのなら、未来の人間がこんなことを望むとは到底考えられない。外界とのリアルな感触のない、バーチャルな世界で生きることは幸せではなかろうと、誰もが思うことである。しかし、コンピュータからの情報を網膜や脳に直接受け取ったり、機械を遠隔操作したり、異なる言語の人たちと機械による同時通訳で話し合えるようになったりする技術の実現は、人類が望んでいないことではなく、そんなに先のことではない。

 医療技術が進化して、病気を予防し、病気に罹っても治療し、老化を抑制することで人類の寿命がどんどん延びていく。そうした中で、未来社会にとっての価値を創造するということは、ポストヒューマンの社会を実現化していくことではなく、むしろ、ヒューマンとして長く生きることの心豊かさを創造していくことである。手足を失えば脳の意志に従って動く義手や義足(機械)が装着され、視力や聴力を失っても網膜や脳細胞に外部からの信号を直接送り込む仕組み装着される。体の中ではナノロボットが病気を監視し、癌細胞を撃退する様になる。コミュニケーションの仕組みもウェアラブルになり場所や言語の障壁を乗り越えることができる様になる。しかし、どんなに機械が人間の体の機能を代替する様になろうとも、ヒューマンであることは失われることはない。

 イノベーションは、経済成長の理論である。技術革新の追求はいかなる方向にも可能であるが、経済活動としてのイノベーションは、あらゆる人類(国や地域によらず、民族や人種によらず、現在の人たちだけでなく未来の人たちにも平等に)の繁栄につながっていくものでなければならない。たとえ遠い将来にポストヒューマンの社会が来ようとも、イノベーションは未来社会においてヒトがヒューマンとして生きていくための価値を創造するものとして意図され社会に普及していかなければならない。

レイ・カーツワイル著『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超越するとき』NHK出版、2007年

サステナブル・イノベーションズ株式会社 代表取締役社長 池邊純一

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