#20 私達の暮らしの中のストーリーを描くテクノロジー (“こと”の構図)

2015年11月21日に「ことづくり経営を実現する」というコラムで “ことづくり” について触れた。そしてこれまで「私達の暮らしの中のストーリーを描くテクノロジー」について色々な観点から記してきた。ここでは、もう一度 “こと” について振り返り、“こと” とは何かについて整理しておくことにする。
 
「私達の暮らしの中のストーリーを描くテクノロジー」では、日々の行動や時代・地域とのつながりについて記してきたが、そこでは、場所や時代(時間)の枠を超えた思考が展開されていた。
 
このことは “こと” の特性を考える上での重要なヒントであり、構図を描く上でのモデルとなる。以下に “こと” の構図を示すとともに、理解の助けとなるように解説を加えることにする。
 

 

(1) “こと” から捉えたストーリーは、?感情の動き、?観る観点、?情景、?体感と認知の全体像の中から醸し出される。

? 感情の動きは、心と体で受けとめたことでわき出ずる感覚であり、後悔・自責、想い・理想・夢・誇りなどがそれに相当する。ストーリーは、こうした感情の動きを描写した筋書きである。

? 観ずるとは、心の眼を通して観る “こと” である。広辞苑第六版によると、『観ずる』とは「よく観察し思い巡らせて正しく知る」ことである。“こと” の構図で描くストーリーでは、自分の眼(一人称)で観ずること、相手の眼(二人称)で観ずることであり、過去の自分と将来の自分、過去の相手と将来の相手、そして自分と相手のその関係、更には、その関係の微妙な変化を描写した筋書きである。

? 視座するとは、目で見、思い描く情景の “こと” である。 広辞苑第六版によると、『視座』とは「物事を見る立場」であり、『視座する』とは立ち位置からものごとを位置づけて見ることである。“こと” の構図で描くストーリーでは、客体的(三人称)に捉えた描写である。それは現場での出来事を描いた筋書きであったり、日常の出来事の描写や晴れ舞台での出来事の描写であったりする。

? 体感?認知とは、体で感じる“こと”、それを頭で認知する“こと”である。体で感じる“こと”は五感や第六感(勘)により直感的である。認知は、感じたことが何であるか、(広辞苑第六版によれば)感性に頼らずに推理・思考などに基づいて事象の高次の性質を知る過程のことである。“こと”の構図で描くストーリーは、実体験の描写であったり、学習された形式知/経験知/体感した記憶/追体験/共感した記憶の借用であったりする。また、論理思考の過程や結果だったり、洞察/仮説(アブダクション)による新たな発想、自己超越知(*)の描写だったりする。

(2) 時間という概念も、“こと”の構図で描くストーリーでは、過去から現在そして未来へ流れるだけでなく、時を遡ることも、時を超えることもある。過去の出来事は「非因果律と因果律」が混合し、結果に基づいて創造られた(想像された)原因が描かれることもある(ヒストリーとして創られる)。今の出来事も忽然/偶有/偶然、必然/蓋然の中で移ろい、未来も予定調和/事前合理性のある出来事として、または、人の意思により発現する未来(*)として描かれる。

(3) “こと” の構図において、現実は主観的な認識であり事実ではないし、客観的な事実も観点を変えると真実ではなくなる。真実も視点を変えると真実でなくなる。

 

(*) 「U理論 過去や偏見にとらわれず、本当に必要な『変化』を生み出す技術」、C・オットー・シャーマー、英治出版、2010年、より引用。

サステナブル・イノベーションズ株式会社 代表取締役 池邊純一

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