#87 想定外、説明責任、レガシー、サステナビリティ

今年(2106年)も様々な出来事がありました。
その中で繰り返し使われた言葉のうち、私の記憶の強く残ったのは、「想定外」「説明責任」「レガシー」でした。

想定外の出来事

「想定外」については、何と言っても、熊本地震でした。あの築城の名手である加藤清正が建てた熊本城の石垣が壊れてしまったことです。本当に心が痛みました。 また、本震があって余震が起こるのが常識だったのに、本震の後に大きな地震があったことにも驚きました。 自然の驚異とは、常識が通用せず、想定外のことが起きることだと思います。
 
政治の世界では、6月のイギリスのEU離脱、11月のトランプ次期米大統領の当選は、多くの人が予想しなかった結果でした。 これから世界経済はどうなるのかと不安にもなりましたが、イギリスのEU離脱の影響は8月には収束し、トランプ次期米大統領の当選後もまもなく株価の上昇に転じました。
 
事故としては、博多の大規模地盤沈下にも驚かされました。小規模な地盤沈下は、色々なところで起きてもいましたが、あれだけの大規模な地盤沈下が、多くの人が日々行き交う大通りの下で起ころうとは予想しなかったことです。
 
ところで、「想定外」という言葉は、東日本大震災に伴い発生した東京電力福島第1原発事故の際に、「来襲した津波の高さ」についてが想定外だったという文脈で多用されたことをきっかけにして、社会の中でも頻繁に使われた様に記憶しています。

 

説明責任

何かの出来事が起こると、必ず、説明責任が問われます。 今年、特に、気になった出来事は、築地市場の豊洲移転にかかわる問題、すなわち、盛り土があるはずの建屋下が空洞だったことでした。 専門家会議で決まっていたことが、移転延長で世間の注目が豊洲に集まったその時に、肝心の建屋の下に盛り土がなされていなかったことについて、当事者だった人達は、自らは公には何も語らずでした。
 
記憶を振り返ると、今年は、政治資金等の問題での政治家のスキャンダルが多かった様にも思えます。その多くは、マスコミ報道がきっかけでしたが、説明責任が果たされないまま辞任する事態が繰り返されました。

 

レガシー

この言葉は、小池新都知事が、オリンピック施設建設用地の選定に関して、ワイズスペンディング(賢いお金の使い方)の文脈で、オリンピック・パラリンピックの開催以降も、その建物が廃墟になることなく、レガシーとして記憶に残り、様々なイベント会場として使われていくお金の使い方をしなければならないという主張から使われた言葉でした。
 
話しは少し変わりますが、ソフトウェア開発業界では、レガシーと言えば、「時代遅れ」という意味合いがありました。 あるいは、今は使われなくなったプログラムに対する俗称でもありました。 ことばの使われる場面や文脈が異なると、真逆の意味があるものだと、ある意味、驚かされました。

 

サステナビリティ(持続可能性 :“sustainability” )

サステナブルやサステナビリティという概念が使われたのは、様々な文献を辿ると、私の知る限りにおいては、1987年の国連のブルントラント報告 “ Sustainable development, which implies meeting the needs of the present without compromising the ability of future generations to meet their own needs ” に遡ることができます。 そこでは、「持続可能な発展」として使われています。
 
持続可能(サステナブル)、持続可能性(サステナビリティ)という言葉は、最近、多くの政治の世界でも使われる様になりました。 例えば、年金制度改革法案の議論において、頻繁に「年金制度を持続可能にするために」という文脈で使われていました。 元々の「社会の持続可能な発展」という文脈での使い方とは、目的も意味も全くことなる様に思われます。

 

想定外、説明責任、レガシーをサステナビリティという視点から見直す

自然災害を予測することは難しく、まさに想定外という言葉を使わざるを得ない場合もあります。しかし、災害に対するリスクの見積もりに対して、投入しうる費用、採算のとれる範囲という論点から、防災策を過少に想定していた場合もあります。そしてその想定を超えた場合の「想定外」だったのかも知れません。言葉の上では2通りに解釈できますが、後者であれば、意図的な理由で起きた災害だったとも言え、まさに、人災である可能性があります。真実は検証されなければなりませんが、そのこと自体が説明責任とも言えます。
 
今年、しばしば耳にした政務活動費に関するスキャンダルについては、まずはオープンにすることが説明責任の初めの一歩です。後々、間違って報告したなどというのは言い訳をしているのであって、説明責任を果たしたとは言えません。
 
建物の建設にかかる費用は、将来への投資でなければならず、レガシーな資産として生かされうるかについての政策を示した上での説明責任が果たされなければなりません。しかし、レガシーな資産として生かされても、それが本当に「社会の持続可能な発展」に供しうるものかという視点では、これまでのどの説明責任では語られてきません。
 
社会が成熟化して右肩上がりの経済成長も見込めなくなる一方で、生活インフラの維持にも、ゆき届いたサービスを維持するにも、利便性のある社会を維持するにも、巨額の費用がかかります。 日本は借金に頼った財政を続けている状況で、お金の使い方には、単に、今だけの説明責任ではなく、将来の子供たちに対しても、社会全体としても、一人ひとりの暮らしにしても、本当に、持続可能な発展に供しうるものか説明できなければなりません。これが、真の説明責任を果たすということなのです。
 
あと数日で2016年も終わり、2017年という新しい一年が始まります。来年こそは、「社会の持続可能な発展」に向き合い、説明責任の果たせるような年になればと考えています。

 
サステナブル・イノベーションズ株式会社 代表取締役社長 池邊純一

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